2026年4月13日 星期一

カナの結婚式ー奇跡を見る者に

 

「カナの結婚式ー奇跡を見る者に」

聖書朗読▼ヨハネ2111

1.それから三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があり、そこにイエスの母がいた。

2.イエスも弟子たちも、その婚礼に招かれていた。

3.ぶどう酒がなくなると、母はイエスに向かって「ぶどう酒がありません」と言った。

4.すると、イエスは母に言われた。「女の方、あなたはわたしと何の関係がありますか。わたしの時はまだ来ていません。

5.母は給仕の者たちに言った。「あの方が言われることは、何でもしてください。」

6.そこには、ユダヤ人のきよめのしきたりによって、石の水がめが六つ置いてあった。それぞれ、二あるいは三メトレテス入りのものであった。

7.イエスは給仕の者たちに言われた。「水がめを水でいっぱいにしなさい。」彼らは水がめを縁までいっぱいにした。

8.イエスは彼らに言われた。「さあ、それを汲んで、宴会の世話役のところに持っていきなさい。」彼らは持って行った。

 

9.宴会の世話役は、すでにぶどう酒になっていたその水を味見した。汲んだ給仕の者たちはそれがどこから来たのかを知っていたが、世話役は知らなかった。それで、花婿を呼んで、

10.こう言った。「みな、初めに良いぶどう酒を出して、酔いが回ったころに悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒を今まで取っておきました。」

11.イエスはこれを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行い、ご自分の栄光を表わされた。それで、弟子たちはイエスを信じた。

 

おはようございます。先週は復活の主を喜び祝うイースターでしたね。私は、春のキャンプを終え、イースター前日はhi-b.a.75周年の記念集会だったので、ドタバタと忙しく過ごしていました。3月後半はだいぶ疲れが溜まっていたようで、体調を崩しましたけれど、それでも時を越え、国を越えてhi-b.a.の始まりを振り返り、神様の恵みの豊かさを味わうイースターとなりました。皆さんはいかがでしたでしょうか。

 

今日読んでいただいた箇所は「カナの婚礼」として有名なお話です。特に、イエス様の最初の奇跡と言われていて、今でも教会の結婚式では司式者が「主イエスが初めにカナで結婚式を祝福されたように…」と言ったりしますが、ガリラヤ地方にあるカナという町で行われた結婚式が舞台になっています。

 

結婚式

 結婚式は国によって結構スタイルが変わるものです。といっても私が出席したことがあるのは日本の結婚式と、この教会で挙げられた結婚式、またアメリカの友人の結婚式くらいなのでそんなにいろいろ知っているわけではないのですが…。

 

 

 時代によってもやることは変わってきますし、同じ国で挙げられる式も個性豊かだったりします。私は昔、学生の頃、結婚式場でアルバイトしていたことがあったので披露宴の給仕も経験して、しきたりやマナー、また新郎新婦の様々なこだわりに、なんだか面白いなあと思った記憶があります。

 

 

 いずれにせよ、そこには喜びがあります。新郎新婦だけの喜びではありません。集まった皆さんが喜びにあふれるのが結婚式です。みんなで集まって、食べ、飲み、踊り、喜びを分かち合うのです。

 

 聖書が書かれた国、イスラエルでは結婚のお祝いはなんと1週間続いたそうです!

この時、ある人の結婚式にイエスの母マリヤが世話人の一人として出席していました。そこにイエス様と弟子たちも招かれたのでしょう。

不測の事態

 ところが!です。嬉しく楽しく喜ばしい、幸せムード満々のはずの場所に、予想していなかったことが起きました。パーティーを盛り上げるツールの一つ、ぶどう酒がなくなった!という事態です。結婚式にはハプニングはつきものですが、これは困った事態です。

 

ex.ちなみに私の結婚式のハプニングは、フラワーガールやリングボーイがセッティングできていなかったのに、時間になって奏楽者が前奏を弾き始めてしまったので、前奏がいくら続いてもなかなか花嫁が登場しなかった!)

 

 ぶどう酒は、人の心を喜び楽しませるもの、結婚式には欠かせない喜びの象徴だったのに、それがパーティーの途中で切れてしまったのですから、困りました。

 

 

 

 大勢が集まるイベントでは人数を想定して食べ物や飲み物を準備するものです。私も先日のhi-b.a.75周年記念集会で食事などを整えなければならなかったので、参加人数の把握や経済面での調整など、やることが多岐に渡って大変でした。なので、この時の状況は想像しやすいです。きっと招いた客の分は用意したつもりだったけれど、想定外にぶどう酒をたくさん飲む人たちがいたのでしょうね。

 

 

 そこで、世話人の一人だったマリヤは困ってイエスのところに行ったのでしょう。「ぶどう酒がありません」(v.3)それに対してイエスの対応はv.4)「女の方、あなたはわたしと何の関係がありますか。」

 

 なんだか冷たくないですか?!柔和で愛にあふれた方という印象のイエス様とはイメージが違うと感じるのは私だけではないはずです。

 

 皆さんは自分の母親に対してどう呼びかけるでしょうか?

 「女の方」―日本語に訳されたこのことばは、親子とは思えない、よそよそしさを覚えます。でも実はこの呼びかけは、尊敬や敬愛を示す言い方なのだそうです。また「あなたはわたしと何の関係がありますか」という言葉は「あなたと私の関心は別なのですよ」ということです。

 

 ですから、マリヤもイエスの言葉に腹を立てることなく、v.5のように言ったのでしょう。

 

 母は給仕の者たちに言った。「あの方が言われることは、何でもしてください。」

問題解決!

 そんなマリヤの言葉のあと、イエスは行動を起こしました。(v.7)水がめを水でいっぱいにするようにとの指示を出したのです

 

 v.6を見るとそこには石の水がめが6つありました。1つが二あるいは三メトレテス、つまり80-120Lですから、結構な大きさです。これを満たすためには時間も手間も労力もかかったでしょう。2L入りのペットボトルに水を入れ、両手に持ち、石がめに運び入れるとしても2030往復しなければなりません。それを6本ですから!給仕の者たちも「なぜこんなことを?」と思ったでしょう。ぶどう酒がないというのに、水がめに注いでいるのは「水」なのですから。

 

 そしてイエスは次にその「水」を汲んで宴会の世話役に持っていくようにと言いました。そのことばに従って「水」を運んだ給仕の者たちは・・・奇跡を見たのです!確かに自分たちが汲んだ「水」を飲んで、世話役はその味を「良いぶどう酒」と言ってほめ、花婿を呼んで告げるほどでした。

 水がいつぶどう酒に変わったのか、聖書は記していません。でも、ただの水が、宴会の世話役のところに行くときにはもうすでに芳醇なぶどう酒に変化していたのです。まさに奇跡です!

 

私たちは

 私たちにも、そんな不測の事態が起こることがあります。想定外のことが起こったり、願っていない悪いことが私たちを襲ってくるのです。驚き、慌てふためき、恐れ戸惑うかもしれません。

 

 でも、そういう時こそ、マリヤのようにイエスのところに持っていきましょう。祈ったのに、願ったのにすぐに状況が改善しないとしても、です。

 

 イエスのところに行けば、味気ない水が、芳醇なぶどう酒に変わるのです!どうしようもない事態が最善へと変わるのです。喜びのない人生、意味がないと感じる人生が、喜びにあふれ、意味を見出す人生へと変わっていきます。イエスが結婚のお祝いの場にいらしたように、私たちの人生にも来てくださるのです。この方を無視して、私たちが自分の力で不測の事態、問題を切り抜けようとするのは無理だし、もったいないことだと思いませんか。

 

 

 イエスは「時」が来たら、ちゃんと働きを私たちに分かるように見せてくださいます。だから安心してください。祈りは必ず聞かれるのですから。

 

世話役のようではなく

 さて、この場に居合わせて美味しいぶどう酒を味わった世話役に目を留めてみましょう。彼は感動するほど美味しいぶどう酒を飲みましたが、これが「奇跡」であるということは味わえませんでした。イエスの力の一端に関わったのに、気づかなかったのです。

 

 

 実際、彼のような人はこの世界に多くいます。世界のあちこちで神様のみわざが行われているのに、恵みをいただいているのに、それを知らない、認めない、感謝をしない、無視をする・・・そんな人々が大勢います。

 

 先日のhi-b.a.75周年記念集会には100人以上の方が渋谷のhi-b.a.センターにお集まりくださいました。hi-b.a.の初期の卒業生から、元スタッフ、初代宣教師の娘たち、現役高校生まで。私は、自分がスタッフの子どもとして育ったので、子どもの頃にお世話になった人から、今自分がお世話している高校生まで、様々な方々を前にして胸がいっぱいになりました。

 

 神様が日本を憐れみ、若い青年たちに志を与え、日本に送り、宣教の働きがスタートし、それが多くの人によってここまでバトンをつないできた、そのプロセスをたどるような時間だったからです。先輩たちや今を担う私たちの苦労を思い起こしましたし、自分が気づかず、見聞きしていなかったところでも働いて来られた神様と先輩たちの祈りと働きの実を思いました。

 

 そうです。神様のみわざは今も、これからも、続いていきます。私たちが気づかなくても、忘れていても、です。

 

この賛美をご存じでしょうか。

♪♪主は道を 日々造られる

何もないように 思える時でも

 

主は御手で 御元で支え

新しい明日へ 主は道を造られる

 

 何もないように思えても、偶然に過ぎないと思うことでも、あの人が素晴らしいからだ、この人のおかげだとみんなが言うことであっても、私たちは、水をぶどう酒に変えたのは主だということを知っていた給仕の者たちのようでありたいです。

 

 どうやって変えたのかとか、「すべて」を知ってはいないけれど、見ていないけれど、そこに主が働いておられることを覚えて頼っていきたいのです。

 

 問題のない人生などありません。誰もが様々な問題・課題・悩み・葛藤を経験します。そして、誰もがそれを、イエスのところに持っていっていいのです。私たちは主の「奇跡」を経験し、主イエスを信じるものです。

結 

 あなたの人生、他でもないあなたしか生きられないかけがえのない日々は、計画通りに行くとは限らず、何が起こるか分からないドラマティックな人生でしょう。どうか、主イエスに頼って、喜びと意味を見出す日々になりますように。

2026年4月1日 星期三

主已復活,生命更新

 

題目:主已復活,生命更新

 

引言:哈利路亞!主已復活!

弟兄姊妹平安!今天我們歡喜快樂,一同慶祝主耶穌基督的復活。

讓我們透過聖經(馬可福音16章),再次思想「復活」帶給我們的生命意義。

 

一、百聞不如一見——復活的見證

 

「百聞不如一見。」

聽再多,不如親眼看見來得真實。

 

馬可福音記載:

抹大拉的馬利亞與幾位婦女,在七日的第一日清晨,帶著香料來到墳墓,要膏抹耶穌的身體。

 

但她們看到的是什麼?

 

石頭已被滾開

墳墓是空的

有一位穿白袍的少年(天使)對她們說:

👉「祂已經復活了,不在這裡!」

 

這不是傳說,而是見證。

從「看見空墳墓」開始,復活的信息被傳開。

 

二、主耶穌的復活——應許的實現

 

主耶穌曾說:

👉「我就是復活,我就是生命。」

 

祂不只是說,祂真的做到了。

 

在加利利向門徒顯現(約翰福音21章)

在橄欖山升天(使徒行傳1章)

並應許聖靈降臨,賜下能力

 

門徒的生命因此完全改變:

 

原本害怕變成勇敢

原本退縮成為見證人

 

弟兄姊妹,這不只是他們的故事,也是我們的經歷。

當我們接受復活的主,我們的生命也會被更新。

 

👉就像春天來臨:

櫻花盛開、萬物更新——從枯乾到生命重現。

復活,就是上帝給我們的「新生命」。

 

三、生命的改變——彼得的故事

 

聖經特別提到彼得。

 

彼得曾經:

 

三次不認主

在壓力中失敗、退縮

 

但復活的主沒有放棄他。

主親自向他顯現、恢復他。

 

結果如何?

👉彼得從軟弱的人,成為剛強的使徒!

 

這讓我們明白:

 

我們會軟弱

但主不放棄我們

復活的主能使人重新開始

 

復活的意義就是:

👉「失敗的人,可以再站起來。」

👉「破碎的生命,可以被更新。」

 

四、結語——活出復活的生命

 

復活節的核心是什麼?

 

👉上帝的愛勝過罪惡

👉主的生命勝過死亡

 

今天,主也呼召我們:

 

放下舊我

活出新生命

在世界中成為見證

 

弟兄姊妹,

讓我們領受這復活的生命——

活出盼望、活出愛、活出更新!

 

願主耶穌的平安與你們同在,

從今時直到永永遠遠。阿們!

2026年3月30日 星期一

新的生命

 

題目:新的生命

 經文

◎「所以,若有人在基督裏,他就是新造的人,舊事已過,都變成新的了。」

「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」— コリントの信徒への手紙二 517

◎耶穌對她說:「復活在我,生命也在我。信我的人雖然死了,也必復活。」

「イエスは言われた。『私は復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。』」— ヨハネによる福音書 1125

 

兄弟姐妹們大家平安!

願復活的主耶穌的平安和歡喜,與兄弟姊妹與家族每一個人同在。

今天我們在這裡舉行復活節省墓的禮拜, 來緬懷我們所敬愛的長輩們,他們先到上帝那裡去了,但是,主的話告訴我們,我們有一天我們將要在天上見面,這是主耶穌所應允我們的。

 

 在復活節的時候,我們一起來省墓禮拜,一起讚美主、因為主耶穌確實復活,如今祂在天上保護我們。我們在這裡慶祝主耶穌復活、再來一次思考生命的意義。

 

 我們通過今天的聖經來看分享有關新的生命。

耶穌說,『我是復活,我是生命,凡是信我的,他必得著新的生命。』

耶穌在人生的當中,就是來傳講有關生命的故事,祂就是上帝所差遣來世界上,為了要幫助貧窮的人,為了要拯救罪人,為的就是要讓過失的人有重新的機會。

 

 祂傳講的就是上帝愛世人」,這一個很要緊的事,拯救人的生命,領導人走向人生的光明,這是一個有關生命的故事。耶穌犧牲了自己被釘在十字架上死亡了,最後,祂從死亡的當中復活了。這也表示說,耶穌是充滿了力量的,是勝過對一個世界死亡的權勢,祂復活的力量能幫助我們重新再站起來。

 

  如同在哥林多後書五章17節這邊所記載的,「所以,若有人在基督裏,他就是新造的人,舊事已過,都變成新的了。」

我們是通過了耶穌基督他能讓我們有一個新的生命,我們的生命被創造的,這是一個好的消息,我們人生當中有犯錯誤的時候,但是,耶穌基督他的生命能幫助我們來改變。

 

  讓我們可以從復活的主耶穌那裏得到一個新的生命,一個被創造的重新的生命,把古舊的自我捨去、有新的生命以及新的盼望在我們心中成長。

 

  我們跌倒的時候,重新開始再爬起來,因為我們相信主耶穌必定能來幫助我們,從那一個很受傷的情況當中在起來。如同一位醫生他拿了藥來抹在我們的受傷的地方,能讓受傷的地方可以得到痊癒,我們的身體能得到健康,我們的心靈可以得到一個重新開始的機會,這也是在我們的人生當中,一個重新的開始。

 

  感謝上帝的恩典,今天讓我們在這一個復活節的時候,再一次思考有關生命的意義,耶穌復活生命勝過了死亡,他說,「我是復活,我是生命」。是的 ,如同祂所說的,耶穌今日祂仍是在支持幫助我們,帶給我們生命的希望!願我們堅持著這希望,踏出新的一步。

 

  讓我們可以再一次回到我們的現實的生活生活當中,這一周東京我們看到櫻花滿開了,非常漂亮。寒冬過去了接著是春天來訪, 萬物恢復了新生命。感謝主!主耶穌復活,讓我們的內心帶來特別的新的生命的祝福。

 

  親愛的兄弟姊妹!在聖經裡面有記載著很多類似這樣子的事情,是生命的更新的故事,願我們每一個家庭都來閱讀,從閱讀聖經得到生命的喜悅,並且都能得到上帝的恩典慈愛。

祈禱 感謝主!

今日我們在這裡聚會,願主保守我們,願復活的歡喜與平安永遠和兄弟姊妹們同在。從今時直到永永遠遠。 奉靠主耶穌的聖名 阿們

 

カナの結婚式ー奇跡を見る者に

  「カナの結婚式ー奇跡を見る者に」 聖書朗読▼ヨハネ 2 : 1 - 11 1.それから三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があり、そこにイエスの母がいた。 2.イエスも弟子たちも、その婚礼に招かれていた。 3.ぶどう酒がなくなると、母はイエスに向かって「ぶどう酒があ...