2026年4月15日 星期三

上主親自牧養以色列

 



宣召:詩篇105:1-2

題目:上主親自牧養以色列 

聖經:以西結書34:11-16

 聖詩:2021-4, 322, 396

 應:55

 一、前言

弟兄姊妹,大家平安!

 今天我們要一起分享一個熟悉卻深刻的主題——牧者與羊群的關係。

 以色列民族原本是遊牧民族,「牧羊」是他們生活的核心經驗。因此,在聖經中,「牧者」不只是職業,更是一種領導與照顧的象徵。

 大衛原本是牧羊人,後來被上帝揀選成為以色列的君王。因此,以色列的君王與領袖,常被比為牧養百姓的牧者。

 同樣地,聖經也多次用「牧者」來形容上帝。例如詩篇80:1說:

「領約瑟如領羊群的以色列牧者啊,求你側耳而聽!」

 然而,在以西結書341–11節中,先知以西結嚴厲指出:當時的領袖失職了。

 他們只顧自己,不顧百姓;

只享受資源,卻不照顧軟弱的人。

 經文說,他們:

 沒有醫治病弱的

沒有尋找失喪的

沒有帶回被趕散的

沒有包紮受傷的

(參34:2-6

 

這樣的領袖,也被先知耶利米同樣責備(耶利米23:1-4)。

 因此,上帝宣告:

祂要親自介入,取代這些失職的牧者——

上帝要親自牧養祂的百姓。

 二、上帝要親自牧養祂的百姓

 這是整段經文最重要的信息。

 當地上的牧者失敗時,上帝沒有放棄祂的羊群,反而親自成為牧者。

 以西結書34:15-16說:

 「我要親自牧養我的群羊,使牠們得以躺臥。

失喪的,我必尋找;被逐的,我必領回;

受傷的,我必包紮;有病的,我必醫治;

我必秉公牧養牠們。」

 這段經文讓我們看到上帝的幾個特質:

 

1. 主動尋找

 上帝不是等人來,而是主動尋找失喪的人。

 2. 溫柔醫治

 祂關心受傷與軟弱的人,親自包紮與醫治。

 3. 公義審判

 祂不只是慈愛,也是公義的主。

 34章中,也提到上帝要在羊與羊之間施行審判。

 那些「肥壯的羊」自私地踐踏草地、攪亂水源,使其他羊無法生存(34:18-19)。

 這代表在群體中,有些人因自私而壓迫他人。

上帝說:祂必親自審判,恢復公義。

 最後,在34:31,上帝宣告一個美好的關係:

 「你們作我的羊,我也是你們的上帝。」

這是一個重新建立約的關係——

不只是個人得救,更是整個群體被更新。

 三、這段經文對我們的

① 我們如何看待「領袖」?

 今天的世界,我們仍然看到類似的問題:

有些掌權者只為自己,不為人民。

 聖經提醒我們:

真正的領袖應該有憐憫的心,能「人飢己飢,人溺己溺」。

 新約中也提到,掌權者是神的用人,應當行善、保護百姓(羅馬書13章)。

 因此,我們也要為領袖禱告,並且在自己的位置上,學習成為一個負責任、願意付出的人。

 ② 上帝必施行公義

 上帝不忽略不公義的事。

 在以西結書中,祂審判「肥羊與瘦羊」。

在新約中,耶穌也提到類似的比(如馬太福音中的分別)。這提醒我們:

上帝看重我們如何對待他人。

 我們是否:

 願意分享?

願意扶持軟弱?

還是只顧自己?

③ 我們也被呼召成為牧養的人

 在約翰福音21章,主耶穌對彼得說:

「你餵養我的羊。」

 這表示:

每一位基督徒,都有某種程度的牧養責任。

關心身邊的人

扶持軟弱的人

尋找迷失的人

 因為每一個人,都是上帝所愛的羊。

 

四、結語

 從以西結書34章,我們清楚看見:

上帝是一位關心百姓、親自牧養的神。

 主耶穌也說:

「我是好牧人,好牧人為羊捨命。」(約翰福音10:11

 祂不只是帶領我們,

更為我們付上生命的代價。

 弟兄姊妹,

我們既然屬於這位好牧人,

 就讓我們:

 跟隨祂

倚靠祂

與祂同工

 因為若沒有上帝的祝福,

我們所做的一切都是徒然。

 願上帝的恩典,像春雨一樣滋潤我們的生命,

使我們結出美好的果子。

 祈禱

 親愛的主耶穌,

感謝祢成為我們的好牧人,

在我們迷失時尋找我們,在我們軟弱時扶持我們。

 求祢幫助我們,

不但領受祢的愛,也願意去關心他人,

成為合祢心意的人。 

願祢的恩典常與我們同在。

禱告奉主耶穌基督的聖名,阿們。

2026年4月13日 星期一

カナの結婚式ー奇跡を見る者に

 

「カナの結婚式ー奇跡を見る者に」

聖書朗読▼ヨハネ2111

1.それから三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があり、そこにイエスの母がいた。

2.イエスも弟子たちも、その婚礼に招かれていた。

3.ぶどう酒がなくなると、母はイエスに向かって「ぶどう酒がありません」と言った。

4.すると、イエスは母に言われた。「女の方、あなたはわたしと何の関係がありますか。わたしの時はまだ来ていません。

5.母は給仕の者たちに言った。「あの方が言われることは、何でもしてください。」

6.そこには、ユダヤ人のきよめのしきたりによって、石の水がめが六つ置いてあった。それぞれ、二あるいは三メトレテス入りのものであった。

7.イエスは給仕の者たちに言われた。「水がめを水でいっぱいにしなさい。」彼らは水がめを縁までいっぱいにした。

8.イエスは彼らに言われた。「さあ、それを汲んで、宴会の世話役のところに持っていきなさい。」彼らは持って行った。

 

9.宴会の世話役は、すでにぶどう酒になっていたその水を味見した。汲んだ給仕の者たちはそれがどこから来たのかを知っていたが、世話役は知らなかった。それで、花婿を呼んで、

10.こう言った。「みな、初めに良いぶどう酒を出して、酔いが回ったころに悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒を今まで取っておきました。」

11.イエスはこれを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行い、ご自分の栄光を表わされた。それで、弟子たちはイエスを信じた。

 

おはようございます。先週は復活の主を喜び祝うイースターでしたね。私は、春のキャンプを終え、イースター前日はhi-b.a.75周年の記念集会だったので、ドタバタと忙しく過ごしていました。3月後半はだいぶ疲れが溜まっていたようで、体調を崩しましたけれど、それでも時を越え、国を越えてhi-b.a.の始まりを振り返り、神様の恵みの豊かさを味わうイースターとなりました。皆さんはいかがでしたでしょうか。

 

今日読んでいただいた箇所は「カナの婚礼」として有名なお話です。特に、イエス様の最初の奇跡と言われていて、今でも教会の結婚式では司式者が「主イエスが初めにカナで結婚式を祝福されたように…」と言ったりしますが、ガリラヤ地方にあるカナという町で行われた結婚式が舞台になっています。

 

結婚式

 結婚式は国によって結構スタイルが変わるものです。といっても私が出席したことがあるのは日本の結婚式と、この教会で挙げられた結婚式、またアメリカの友人の結婚式くらいなのでそんなにいろいろ知っているわけではないのですが…。

 

 

 時代によってもやることは変わってきますし、同じ国で挙げられる式も個性豊かだったりします。私は昔、学生の頃、結婚式場でアルバイトしていたことがあったので披露宴の給仕も経験して、しきたりやマナー、また新郎新婦の様々なこだわりに、なんだか面白いなあと思った記憶があります。

 

 

 いずれにせよ、そこには喜びがあります。新郎新婦だけの喜びではありません。集まった皆さんが喜びにあふれるのが結婚式です。みんなで集まって、食べ、飲み、踊り、喜びを分かち合うのです。

 

 聖書が書かれた国、イスラエルでは結婚のお祝いはなんと1週間続いたそうです!

この時、ある人の結婚式にイエスの母マリヤが世話人の一人として出席していました。そこにイエス様と弟子たちも招かれたのでしょう。

不測の事態

 ところが!です。嬉しく楽しく喜ばしい、幸せムード満々のはずの場所に、予想していなかったことが起きました。パーティーを盛り上げるツールの一つ、ぶどう酒がなくなった!という事態です。結婚式にはハプニングはつきものですが、これは困った事態です。

 

ex.ちなみに私の結婚式のハプニングは、フラワーガールやリングボーイがセッティングできていなかったのに、時間になって奏楽者が前奏を弾き始めてしまったので、前奏がいくら続いてもなかなか花嫁が登場しなかった!)

 

 ぶどう酒は、人の心を喜び楽しませるもの、結婚式には欠かせない喜びの象徴だったのに、それがパーティーの途中で切れてしまったのですから、困りました。

 

 

 

 大勢が集まるイベントでは人数を想定して食べ物や飲み物を準備するものです。私も先日のhi-b.a.75周年記念集会で食事などを整えなければならなかったので、参加人数の把握や経済面での調整など、やることが多岐に渡って大変でした。なので、この時の状況は想像しやすいです。きっと招いた客の分は用意したつもりだったけれど、想定外にぶどう酒をたくさん飲む人たちがいたのでしょうね。

 

 

 そこで、世話人の一人だったマリヤは困ってイエスのところに行ったのでしょう。「ぶどう酒がありません」(v.3)それに対してイエスの対応はv.4)「女の方、あなたはわたしと何の関係がありますか。」

 

 なんだか冷たくないですか?!柔和で愛にあふれた方という印象のイエス様とはイメージが違うと感じるのは私だけではないはずです。

 

 皆さんは自分の母親に対してどう呼びかけるでしょうか?

 「女の方」―日本語に訳されたこのことばは、親子とは思えない、よそよそしさを覚えます。でも実はこの呼びかけは、尊敬や敬愛を示す言い方なのだそうです。また「あなたはわたしと何の関係がありますか」という言葉は「あなたと私の関心は別なのですよ」ということです。

 

 ですから、マリヤもイエスの言葉に腹を立てることなく、v.5のように言ったのでしょう。

 

 母は給仕の者たちに言った。「あの方が言われることは、何でもしてください。」

問題解決!

 そんなマリヤの言葉のあと、イエスは行動を起こしました。(v.7)水がめを水でいっぱいにするようにとの指示を出したのです

 

 v.6を見るとそこには石の水がめが6つありました。1つが二あるいは三メトレテス、つまり80-120Lですから、結構な大きさです。これを満たすためには時間も手間も労力もかかったでしょう。2L入りのペットボトルに水を入れ、両手に持ち、石がめに運び入れるとしても2030往復しなければなりません。それを6本ですから!給仕の者たちも「なぜこんなことを?」と思ったでしょう。ぶどう酒がないというのに、水がめに注いでいるのは「水」なのですから。

 

 そしてイエスは次にその「水」を汲んで宴会の世話役に持っていくようにと言いました。そのことばに従って「水」を運んだ給仕の者たちは・・・奇跡を見たのです!確かに自分たちが汲んだ「水」を飲んで、世話役はその味を「良いぶどう酒」と言ってほめ、花婿を呼んで告げるほどでした。

 水がいつぶどう酒に変わったのか、聖書は記していません。でも、ただの水が、宴会の世話役のところに行くときにはもうすでに芳醇なぶどう酒に変化していたのです。まさに奇跡です!

 

私たちは

 私たちにも、そんな不測の事態が起こることがあります。想定外のことが起こったり、願っていない悪いことが私たちを襲ってくるのです。驚き、慌てふためき、恐れ戸惑うかもしれません。

 

 でも、そういう時こそ、マリヤのようにイエスのところに持っていきましょう。祈ったのに、願ったのにすぐに状況が改善しないとしても、です。

 

 イエスのところに行けば、味気ない水が、芳醇なぶどう酒に変わるのです!どうしようもない事態が最善へと変わるのです。喜びのない人生、意味がないと感じる人生が、喜びにあふれ、意味を見出す人生へと変わっていきます。イエスが結婚のお祝いの場にいらしたように、私たちの人生にも来てくださるのです。この方を無視して、私たちが自分の力で不測の事態、問題を切り抜けようとするのは無理だし、もったいないことだと思いませんか。

 

 

 イエスは「時」が来たら、ちゃんと働きを私たちに分かるように見せてくださいます。だから安心してください。祈りは必ず聞かれるのですから。

 

世話役のようではなく

 さて、この場に居合わせて美味しいぶどう酒を味わった世話役に目を留めてみましょう。彼は感動するほど美味しいぶどう酒を飲みましたが、これが「奇跡」であるということは味わえませんでした。イエスの力の一端に関わったのに、気づかなかったのです。

 

 

 実際、彼のような人はこの世界に多くいます。世界のあちこちで神様のみわざが行われているのに、恵みをいただいているのに、それを知らない、認めない、感謝をしない、無視をする・・・そんな人々が大勢います。

 

 先日のhi-b.a.75周年記念集会には100人以上の方が渋谷のhi-b.a.センターにお集まりくださいました。hi-b.a.の初期の卒業生から、元スタッフ、初代宣教師の娘たち、現役高校生まで。私は、自分がスタッフの子どもとして育ったので、子どもの頃にお世話になった人から、今自分がお世話している高校生まで、様々な方々を前にして胸がいっぱいになりました。

 

 神様が日本を憐れみ、若い青年たちに志を与え、日本に送り、宣教の働きがスタートし、それが多くの人によってここまでバトンをつないできた、そのプロセスをたどるような時間だったからです。先輩たちや今を担う私たちの苦労を思い起こしましたし、自分が気づかず、見聞きしていなかったところでも働いて来られた神様と先輩たちの祈りと働きの実を思いました。

 

 そうです。神様のみわざは今も、これからも、続いていきます。私たちが気づかなくても、忘れていても、です。

 

この賛美をご存じでしょうか。

♪♪主は道を 日々造られる

何もないように 思える時でも

 

主は御手で 御元で支え

新しい明日へ 主は道を造られる

 

 何もないように思えても、偶然に過ぎないと思うことでも、あの人が素晴らしいからだ、この人のおかげだとみんなが言うことであっても、私たちは、水をぶどう酒に変えたのは主だということを知っていた給仕の者たちのようでありたいです。

 

 どうやって変えたのかとか、「すべて」を知ってはいないけれど、見ていないけれど、そこに主が働いておられることを覚えて頼っていきたいのです。

 

 問題のない人生などありません。誰もが様々な問題・課題・悩み・葛藤を経験します。そして、誰もがそれを、イエスのところに持っていっていいのです。私たちは主の「奇跡」を経験し、主イエスを信じるものです。

結 

 あなたの人生、他でもないあなたしか生きられないかけがえのない日々は、計画通りに行くとは限らず、何が起こるか分からないドラマティックな人生でしょう。どうか、主イエスに頼って、喜びと意味を見出す日々になりますように。

2026年4月1日 星期三

主已復活,生命更新

 

題目:主已復活,生命更新

 

引言:哈利路亞!主已復活!

弟兄姊妹平安!今天我們歡喜快樂,一同慶祝主耶穌基督的復活。

讓我們透過聖經(馬可福音16章),再次思想「復活」帶給我們的生命意義。

 

一、百聞不如一見——復活的見證

 

「百聞不如一見。」

聽再多,不如親眼看見來得真實。

 

馬可福音記載:

抹大拉的馬利亞與幾位婦女,在七日的第一日清晨,帶著香料來到墳墓,要膏抹耶穌的身體。

 

但她們看到的是什麼?

 

石頭已被滾開

墳墓是空的

有一位穿白袍的少年(天使)對她們說:

👉「祂已經復活了,不在這裡!」

 

這不是傳說,而是見證。

從「看見空墳墓」開始,復活的信息被傳開。

 

二、主耶穌的復活——應許的實現

 

主耶穌曾說:

👉「我就是復活,我就是生命。」

 

祂不只是說,祂真的做到了。

 

在加利利向門徒顯現(約翰福音21章)

在橄欖山升天(使徒行傳1章)

並應許聖靈降臨,賜下能力

 

門徒的生命因此完全改變:

 

原本害怕變成勇敢

原本退縮成為見證人

 

弟兄姊妹,這不只是他們的故事,也是我們的經歷。

當我們接受復活的主,我們的生命也會被更新。

 

👉就像春天來臨:

櫻花盛開、萬物更新——從枯乾到生命重現。

復活,就是上帝給我們的「新生命」。

 

三、生命的改變——彼得的故事

 

聖經特別提到彼得。

 

彼得曾經:

 

三次不認主

在壓力中失敗、退縮

 

但復活的主沒有放棄他。

主親自向他顯現、恢復他。

 

結果如何?

👉彼得從軟弱的人,成為剛強的使徒!

 

這讓我們明白:

 

我們會軟弱

但主不放棄我們

復活的主能使人重新開始

 

復活的意義就是:

👉「失敗的人,可以再站起來。」

👉「破碎的生命,可以被更新。」

 

四、結語——活出復活的生命

 

復活節的核心是什麼?

 

👉上帝的愛勝過罪惡

👉主的生命勝過死亡

 

今天,主也呼召我們:

 

放下舊我

活出新生命

在世界中成為見證

 

弟兄姊妹,

讓我們領受這復活的生命——

活出盼望、活出愛、活出更新!

 

願主耶穌的平安與你們同在,

從今時直到永永遠遠。阿們!

上主親自牧養以色列

  宣召: 詩篇 105:1-2 題目:上 主親自牧養以色列  聖經: 以西結書 34:11-16   聖詩: 202 ( 1-4 ) , 322, 396   啟 應: 55   一、前言 弟兄姊妹,大家平安!   今天我們要一起分享一個熟悉卻深刻的...