「カナの結婚式ー奇跡を見る者に」
聖書朗読▼ヨハネ2:1-11
1.それから三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があり、そこにイエスの母がいた。
2.イエスも弟子たちも、その婚礼に招かれていた。
3.ぶどう酒がなくなると、母はイエスに向かって「ぶどう酒がありません」と言った。
4.すると、イエスは母に言われた。「女の方、あなたはわたしと何の関係がありますか。わたしの時はまだ来ていません。
5.母は給仕の者たちに言った。「あの方が言われることは、何でもしてください。」
6.そこには、ユダヤ人のきよめのしきたりによって、石の水がめが六つ置いてあった。それぞれ、二あるいは三メトレテス入りのものであった。
7.イエスは給仕の者たちに言われた。「水がめを水でいっぱいにしなさい。」彼らは水がめを縁までいっぱいにした。
8.イエスは彼らに言われた。「さあ、それを汲んで、宴会の世話役のところに持っていきなさい。」彼らは持って行った。
9.宴会の世話役は、すでにぶどう酒になっていたその水を味見した。汲んだ給仕の者たちはそれがどこから来たのかを知っていたが、世話役は知らなかった。それで、花婿を呼んで、
10.こう言った。「みな、初めに良いぶどう酒を出して、酔いが回ったころに悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒を今まで取っておきました。」
11.イエスはこれを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行い、ご自分の栄光を表わされた。それで、弟子たちはイエスを信じた。
序
おはようございます。先週は復活の主を喜び祝うイースターでしたね。私は、春のキャンプを終え、イースター前日はhi-b.a.の75周年の記念集会だったので、ドタバタと忙しく過ごしていました。3月後半はだいぶ疲れが溜まっていたようで、体調を崩しましたけれど、それでも時を越え、国を越えてhi-b.a.の始まりを振り返り、神様の恵みの豊かさを味わうイースターとなりました。皆さんはいかがでしたでしょうか。
本
今日読んでいただいた箇所は「カナの婚礼」として有名なお話です。特に、イエス様の最初の奇跡と言われていて、今でも教会の結婚式では司式者が「主イエスが初めにカナで結婚式を祝福されたように…」と言ったりしますが、ガリラヤ地方にあるカナという町で行われた結婚式が舞台になっています。
結婚式
結婚式は国によって結構スタイルが変わるものです。といっても私が出席したことがあるのは日本の結婚式と、この教会で挙げられた結婚式、またアメリカの友人の結婚式くらいなのでそんなにいろいろ知っているわけではないのですが…。
時代によってもやることは変わってきますし、同じ国で挙げられる式も個性豊かだったりします。私は昔、学生の頃、結婚式場でアルバイトしていたことがあったので披露宴の給仕も経験して、しきたりやマナー、また新郎新婦の様々なこだわりに、なんだか面白いなあと思った記憶があります。
いずれにせよ、そこには喜びがあります。新郎新婦だけの喜びではありません。集まった皆さんが喜びにあふれるのが結婚式です。みんなで集まって、食べ、飲み、踊り、喜びを分かち合うのです。
聖書が書かれた国、イスラエルでは結婚のお祝いはなんと1週間続いたそうです!
この時、ある人の結婚式にイエスの母マリヤが世話人の一人として出席していました。そこにイエス様と弟子たちも招かれたのでしょう。
不測の事態
ところが!です。嬉しく楽しく喜ばしい、幸せムード満々のはずの場所に、予想していなかったことが起きました。パーティーを盛り上げるツールの一つ、ぶどう酒がなくなった!という事態です。結婚式にはハプニングはつきものですが、これは困った事態です。
(ex.ちなみに私の結婚式のハプニングは、フラワーガールやリングボーイがセッティングできていなかったのに、時間になって奏楽者が前奏を弾き始めてしまったので、前奏がいくら続いてもなかなか花嫁が登場しなかった!)
ぶどう酒は、人の心を喜び楽しませるもの、結婚式には欠かせない喜びの象徴だったのに、それがパーティーの途中で切れてしまったのですから、困りました。
大勢が集まるイベントでは人数を想定して食べ物や飲み物を準備するものです。私も先日のhi-b.a.75周年記念集会で食事などを整えなければならなかったので、参加人数の把握や経済面での調整など、やることが多岐に渡って大変でした。なので、この時の状況は想像しやすいです。きっと招いた客の分は用意したつもりだったけれど、想定外にぶどう酒をたくさん飲む人たちがいたのでしょうね。
そこで、世話人の一人だったマリヤは困ってイエスのところに行ったのでしょう。「ぶどう酒がありません」(v.3)それに対してイエスの対応は…(v.4)「女の方、あなたはわたしと何の関係がありますか。」
なんだか冷たくないですか?!柔和で愛にあふれた方という印象のイエス様とはイメージが違うと感じるのは私だけではないはずです。
皆さんは自分の母親に対してどう呼びかけるでしょうか?
「女の方」―日本語に訳されたこのことばは、親子とは思えない、よそよそしさを覚えます。でも実はこの呼びかけは、尊敬や敬愛を示す言い方なのだそうです。また「あなたはわたしと何の関係がありますか」という言葉は「あなたと私の関心は別なのですよ」ということです。
ですから、マリヤもイエスの言葉に腹を立てることなく、v.5のように言ったのでしょう。
母は給仕の者たちに言った。「あの方が言われることは、何でもしてください。」
問題解決!
そんなマリヤの言葉のあと、イエスは行動を起こしました。(v.7)水がめを水でいっぱいにするようにとの指示を出したのです
v.6を見るとそこには石の水がめが6つありました。1つが二あるいは三メトレテス、つまり80-120Lですから、結構な大きさです。これを満たすためには時間も手間も労力もかかったでしょう。2L入りのペットボトルに水を入れ、両手に持ち、石がめに運び入れるとしても20~30往復しなければなりません。それを6本ですから!給仕の者たちも「なぜこんなことを?」と思ったでしょう。ぶどう酒がないというのに、水がめに注いでいるのは「水」なのですから。
そしてイエスは次にその「水」を汲んで宴会の世話役に持っていくようにと言いました。そのことばに従って「水」を運んだ給仕の者たちは・・・奇跡を見たのです!確かに自分たちが汲んだ「水」を飲んで、世話役はその味を「良いぶどう酒」と言ってほめ、花婿を呼んで告げるほどでした。
水がいつぶどう酒に変わったのか、聖書は記していません。でも、ただの水が、宴会の世話役のところに行くときにはもうすでに芳醇なぶどう酒に変化していたのです。まさに奇跡です!
私たちは
私たちにも、そんな不測の事態が起こることがあります。想定外のことが起こったり、願っていない悪いことが私たちを襲ってくるのです。驚き、慌てふためき、恐れ戸惑うかもしれません。
でも、そういう時こそ、マリヤのようにイエスのところに持っていきましょう。祈ったのに、願ったのにすぐに状況が改善しないとしても、です。
イエスのところに行けば、味気ない水が、芳醇なぶどう酒に変わるのです!どうしようもない事態が最善へと変わるのです。喜びのない人生、意味がないと感じる人生が、喜びにあふれ、意味を見出す人生へと変わっていきます。イエスが結婚のお祝いの場にいらしたように、私たちの人生にも来てくださるのです。この方を無視して、私たちが自分の力で不測の事態、問題を切り抜けようとするのは無理だし、もったいないことだと思いませんか。
イエスは「時」が来たら、ちゃんと働きを私たちに分かるように見せてくださいます。だから安心してください。祈りは必ず聞かれるのですから。
世話役のようではなく
さて、この場に居合わせて美味しいぶどう酒を味わった世話役に目を留めてみましょう。彼は感動するほど美味しいぶどう酒を飲みましたが、これが「奇跡」であるということは味わえませんでした。イエスの力の一端に関わったのに、気づかなかったのです。
実際、彼のような人はこの世界に多くいます。世界のあちこちで神様のみわざが行われているのに、恵みをいただいているのに、それを知らない、認めない、感謝をしない、無視をする・・・そんな人々が大勢います。
先日のhi-b.a.75周年記念集会には100人以上の方が渋谷のhi-b.a.センターにお集まりくださいました。hi-b.a.の初期の卒業生から、元スタッフ、初代宣教師の娘たち、現役高校生まで。私は、自分がスタッフの子どもとして育ったので、子どもの頃にお世話になった人から、今自分がお世話している高校生まで、様々な方々を前にして胸がいっぱいになりました。
神様が日本を憐れみ、若い青年たちに志を与え、日本に送り、宣教の働きがスタートし、それが多くの人によってここまでバトンをつないできた、そのプロセスをたどるような時間だったからです。先輩たちや今を担う私たちの苦労を思い起こしましたし、自分が気づかず、見聞きしていなかったところでも働いて来られた神様と先輩たちの祈りと働きの実を思いました。
そうです。神様のみわざは今も、これからも、続いていきます。私たちが気づかなくても、忘れていても、です。
この賛美をご存じでしょうか。
♪♪主は道を 日々造られる
何もないように 思える時でも
主は御手で 御元で支え
新しい明日へ 主は道を造られる
何もないように思えても、偶然に過ぎないと思うことでも、あの人が素晴らしいからだ、この人のおかげだとみんなが言うことであっても、私たちは、水をぶどう酒に変えたのは主だということを知っていた給仕の者たちのようでありたいです。
どうやって変えたのかとか、「すべて」を知ってはいないけれど、見ていないけれど、そこに主が働いておられることを覚えて頼っていきたいのです。
問題のない人生などありません。誰もが様々な問題・課題・悩み・葛藤を経験します。そして、誰もがそれを、イエスのところに持っていっていいのです。私たちは主の「奇跡」を経験し、主イエスを信じるものです。
結
あなたの人生、他でもないあなたしか生きられないかけがえのない日々は、計画通りに行くとは限らず、何が起こるか分からないドラマティックな人生でしょう。どうか、主イエスに頼って、喜びと意味を見出す日々になりますように。