2013年6月9日 星期日

新しく力を得る


 

 

イザヤ書40:28-31 

「あなたは知らないのか。聞いていないのか。

主は永遠の神、地の果てまで創造された方。

疲れることなく、

たゆむことなく、

その英知は測り知れない。

疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。

若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。

しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、

鷲のように翼をかって上ることができる。

走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」

 

私たちは様々なことで疲れを覚えます。

 

人間関係であったり、経済的なことであったり、責任であったり

元気がなくなることは多いです、

が、主からの励ましも多いのです。

多くの課題があっても、

主からの導き一つで大きな力を得ます。

 

今日、覚えたいことは、

主を待ち望む時に、

あらゆる状況を乗り越える力が与えられることです。

主は、全てのことを、おできになる方なのです。

 

 

結論

「主を待ち望むものは新たな力を受ける」(31)

 

主を待ち望む者は、

新たに力を得る、

主ご自身を待ち望む時む、

わたしたちの解決、願いの答えを待つのではなく、

主ご自身を待ち望み、

主からの力を得る、

 

 

「若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまづき倒れる。」(30)

若い男でさえ疲れる、とあります。(高校生、子どもも疲れる)

誰でも疲れ、弱る時があります。

疲れない人はいません。

 

神様は私たちが疲れ、

弱るものだということを知ってくださっています。

私たちが元気に振る舞うのではなく、

主は弱っても大丈夫、

私が元気にする、と言われています、

 

 

 

私たちは弱みを見せないように生きようとするかもしれませんが、

 

弱っていけないわけではありません。

弱った時にどうするのかが重要なのです。

 

 

 

 

期待の上に期待を持つ

私たちは期待を持って、

具体的に待つことが必要です、

漠然と祈るのではなく、

具体的に祈り、

私たちの願いを伝える、

 

イエス様は時として私たちに、

「私に何をして欲しいのか?」

と問われます、

その時私たちははっきりと答える必要があるのです、

「できるならば、一応お願いします」ではありません、

具体的に祈り、神様にしかおできにならないことを願うのです、

 

 

待つことは難しい、ストレスが溜まる

 

 

主はあえて私たちを待たせることがあります。

(ペンテコステの時の「待ちなさい」)

 

 

そして祈りが答えられない時は、

その期間、多くのことを教えられます。

 

長ければ長いほど試されますが、

それと同時に尊い期間でもあります。

 

(教えられること、誰に主権があるのか、

忍耐、信仰がねられる、信仰が働く、

委ねることを知る、無力さを知る)

神様と親密に生きることができる、

 

詩篇119:71

 

この待つ期間において私たちは失敗しやすい。

 

待てなかった信仰者: サウル王

 

ペリシテ人との戦争

13:8 サウルは、サムエルが定めたように、七日のあいだ待ったが、

サムエルがギルガルにこなかったので、民は彼を離れて散って行った。

13:9 そこでサウルは言った、「燔祭と酬恩祭をわたしの所に持ってきなさい」。

こうして彼は燔祭をささげた。

13:10 その燔祭をささげ終ると、サムエルがきた。サウルはあいさつをしようと、

彼を迎えに出た。

 

サウルはいつも自分の面子保つことをを考えていた。

 

アブラハム

創世記16:1 アブラムの妻サライは子を産まなかった。

彼女にひとりのつかえめがあった。エジプトの女で名をハガルといった。

16:2 サライはアブラムに言った、「主はわたしに子をお授けになりません。

どうぞ、わたしのつかえめの所におはいりください。

彼女によってわたしは子をもつことになるでしょう」。

アブラムはサライの言葉を聞きいれた。

 

アブラハムは神様の導きよりも簡単な解決を選んだ

 

ダビデ: バテシェバ

戦争が終わること待っていた。しかし、

本来ならば本人も戦場にいるべきだったのかもしれない。

 

神様の導きを待つよりも、目先の安心を手にいれてしまった。

しかし、それらのものはトラブルへと変わっていく。

 

待ち望むことは、忍耐が必要、簡単ではない、

信仰が試されるが、その期間を乗り越えると新たな力を受けることができる。

待つことができるか、できないかでは同じ神様を信じていても信仰生活に違いがでてくる。

主から学ぶ人は瞬く間に成長して行きます。

しかし、待つ期間、つぶやき、不信仰になる人の成長は遅いと言えます。

 

うまくいかない苦しい期間は、

大胆に信じてリラックスをして主を待ち望むことがたいせつです。

 

また、「待つ」という経験は恵みでもあります。

困難のなか待ち望み、期待できる対象が、私たちにはあるからです。

 

主は祈りに答えてくださると約束しています。

答えがなく漠然と待っているのではないのです。

 

 

待つ時に大切なこと

 

1.祈る-主を待っていることの現れ、デボーション、

主の語りかけを待ち、率先して導きを求める。

 

祈りが聞かれない時に確認するポイント:

 

祈る時のポイント

  み名の権威によって祈る

  罪を悔い改めて祈る

  み言葉で祈る

  熱心に祈り続ける

 

2.現在の待っている状況を感謝する

信仰が働いている

信仰のあるところにみ技があらわれる

前向きに今の状況を肯定する

 

3.将来起こることに期待する、

主を喜ぶことは私たちの力になる。

待つ時の私たちの態度が力にあふれる。

さまざまな待ち方がありますが、心を開いていく時に(スネてはいけない、)

神様の導きを知ることができるのです。

 

4.み言葉にしたがう、行動する、

受け身だけではない、神様の方に向っていく、

 

 

 

答えられるまでの間の私たちの待つ態度が非常に重要です。

私たちは祈りが答えられることに重きを置きますが、

主は私たちの心をみられるのです。

 

 

神様は待っている時の私たちの態度、信仰の姿勢をみられる

神様が見られる所は、信仰、アブラハムは信仰を見られ義とされた、

忍耐する時に私たちの信仰の度合いがあらわにされます。

 

証、ヨハネ11:40

 

さまざまな困難と葛藤、忙しさの中におかれ疲れを覚える者ですが、

主を大胆にまちのぞみ、新たな力を得る者でありたいと思います。

 

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