以斯帖4:5-17
詩歌47, 173, 263
啟應8
一、猶太人的危機
聖經中有兩本書用女性人名,一是路得記,一是以斯帖記,我們今天來做瞭解,也從中學習信仰的功課。
當時候猶太人在波斯帝國做奴隸,被亞哈隨魯王統治著,原來的王后瓦實提抗命而被廢。朝廷選新的王后,結果,猶太人以斯帖被選中了。那時,以斯帖的養父----末底改在朝廷做事,他不肯向哈曼跪拜,宰相哈曼因此懷恨猶太人。亞哈隨魯王受宰相哈曼聳恿,公告要虐殺猶太人,那時末底改和全猶太人都大悲戚,悲嘆,哀號,禁食。末底改也向當時候做王后的以斯帖,向王來請求拯救同胞。 但是,當時候的情況是,沒有國王的允許,誰也不能見王,但是以斯帖向末底改說『死就讓我去死吧!』決心去見王,她也要求同胞三天禁食,表達了最強的信仰,倚靠上帝的信念決不移動。我們會時常面對危機,願我們能夠決心倚靠上帝,使危機變成轉機。
二、決斷犧牲的以斯帖
全書的旨趣是表達:
在人類的歷史當中有上帝的攝理。
上帝的做為確切超過人的做為。
上帝動工,同時也要求人要協力。
在本章當中,我們也看到了,末底改,以斯帖和每一個猶太人同胞總動員,來參與了上帝的拯救聖工。
以斯帖4:14-15她向上帝祈禱,她也認真地思考所遇到的情況,因著這一個祈禱,她的心頭定,讓她在信仰上做了一個決斷。
因此,她要求書珊城內的猶太人禁食,同心向上帝來懇求,雖然沒有國王的命令,但是,我仍然要違例去見王,若是因為這樣得罪國王,被判死罪死,『我若死就死吧!』以斯帖4:16
『我若死就死吧!』這不只是以斯帖她個人的決斷,而且,是把自己交在上帝的聖手當中,“若是因為這樣”得罪國王,被判死罪,死就讓我死吧!是她自己明白地告白,把自己交託給上帝,在上帝的計劃旨意當中,將自己無條件投入這乃是真正的獻身。
兄弟姊妹們,我們若是認同耶穌基督,祂十字架的死,這是祂為眾罪人的犧牲,救贖罪人的功勞,我們若是肯認罪悔改,我們“舊的我”將死去,重新活出新的生命來。
三、結語
兄弟姊妹們當我們面對危機的時候,我們應該要同心協力地信靠上帝。如同猶太人一般,他們被擄到波斯國,當他們面對滅種的危機的時候,全書珊城的猶太人,上到王以斯帖,官員末底改,下到每一位百姓一起同心,三天之內無飲食祈禱,這乃是真正的同心。以斯帖的信仰決心,讓她雖然貴為一個國家的王后,權利集一身,但是,不為利益、權位、名譽所困,仍然願意在適合的時陣,適合的所在,做了適合的事。
這一個事件,讓我們看到以色列的上帝在人類的歷史當中,如今,祂也是應達我們祈禱,活活的上帝。
最適な時と最適な場所 郭 寛城 牧師
聖 書 エステル記 4:5~17
日 時 2008年11時9日
一、
ユダヤ人の危機
旧約聖書のなかで、女性の名を冠した書物に、ルツ記とエステル記があります。今日はその中のエステル記から信仰について学んで見たいと思う。
エステルの生きた時代、ユダヤ人は、ペルシャ帝国に奴隷として捕らわれ、アハシュエロス王の統治下に置かれていた。時の王妃ワシテが王の命に背いた為に王妃の位を解かれた。後に新たな王妃の選出で、ユダヤ人のエステルが選ばれたのです。
その頃、エステルの義父モルデカイは朝廷に仕えていたが、時の大臣ハマンにひざまずこうとせず、敬礼をしない為に怒りを買い、故に、ハマンはユダヤ人を恨み、アハシュエロス王に告げ口をしてユダヤ人を滅ぼそうと企んだのです。
モルデカイと全ユダヤ人は大いなる悲しみを憶え、断食、嘆き、叫びが起こった。そして、モルデカイは王妃エステルに王に同胞を助けるよう求めた。
当時、王の許しがなければ、誰も王に謁見することが許されなかった。しかし、エステルはモルデカイに「もしわたしが死なねばならないのなら、死にます」と王に会いに行く決心をした。同時に、同胞に三日間荒布をまとい断食を呼びかけた。これは彼女の強い信仰を表わすもので、神により頼む信念です。
時々、私たちが危機に直面することがあるかと思われますが、どうか、神により頼んで、危機を乗り越えることが出来ますように。
二、
犠牲することを決心されたエステル
エステル記が意味するもの:
人類の歴史の中には神の摂理が存在していること。
神の御業は人間のすべてを越えるものです。
神の御業には人間の協力を必要とする。
この聖書の箇所で、モルデカイを始め、エステル並びにすべてのユダヤ人たちが、神の救いの業に加えられたのです。
エステル記4:14~15で、エステルは真剣に自分の置かれた立場を考え、神に向かって祈られたのです。そして、心の中である決断を下したのです。すなわち、モルデカイにスサにいるすべてのユダヤ人の同胞を集めて自分のために断食して祈るよう求められた。自分は法を背いても王の下へ行き、もし自分が死なねばならないのなら、死にますと決心したのです。(エステル記4:16)
「死なねばならないのなら、死にます」とは、エステル自身の決断だけではなく、自分を神の御手に委ねたのです。「もしこのようなこと」で、王の逆鱗に触れて死を招いても、死ねばすむことであると。これはエステル自身が己を神に委ねる己の証でもあるのです。自分を神のご計画の中に無条件に委ねたことは、本当の意味の献身と言えるのです。
兄弟姉妹、イエスキリストの十字架での死が罪びとのために払われた犠牲であれば、私たちが己の罪を認め,悔い改めると、“古い自分”が死に、そして新たな命が生まれてくるのです。
三、
結論
兄弟姉妹、危機に直面したとき、私たちは、一致団結してすべてを神に委ねるべきです。
ユダヤ人がペルシャに捕らわれ、民族の絶滅の危機に直面したとき、スサにいたすべてのユダヤ人は、王妃エステルを始め、官吏モルテカイ並びに、一般の民人が心を一つに、三日間断食して祈られたそのことこそ、本当の一致団結と言えるのです。
エステルの信仰的決心が、一国の王妃であるにもかかわらず、利権や名誉を省みず、適当な時、適当な場所で最適の決心を下すことができたのです。
このことから、イスラエルの歴史の上での神の存在を見ることができるのです。私たちが信じる神は、現在も私たちの祈りに応えてくださる活きた神です。
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