一、主を畏れる事は知恵の初め
箴言1:7 「主を恐れることは知識のはじめである、愚かな者は知恵と教訓を軽んじる。」先ずは、神を恐れることが全ての知識のはじめである。これ
は全ての教訓の中で一番大事な教えです。私達は皆子供の時から学校で学び、「知識」と「倫理」等を身につけるが、しかし、これだけでは人間構成に不十
分です、
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私達は神から授かった知恵を頼りに正しい生活を送るのです。即ち「神を恐れることは知識のはじめである」の聖書の言葉通り、人間は神の前で謙虚にならなければ、正しい人生を送れません。
「キリスト・イエスに対する信仰によって救に至る知恵」をも知らなければ成りません。(テモテⅡ 3:14~15)
二、聖書が提示した「知恵」
幼い時から、聖書に親しんで来たキリスト・イエスは知恵に満ち、神の恵みに包まれていた、背丈も伸び、神と人とに愛された。(ルカ二:40、52)
イエスが故郷のナザレの会堂で教えておられると、人々は「この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう。」と驚いた。
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パウロがローマ書で言われた「しかし、わたしの願うところは、あなたがたが善にさとく、悪には、うとくあってほしいことである。」それは善を行い、悪から遠のく意味です。罪を犯し、刑務所に入れられた人達は、罪を償うために罰せられるのであります。パウロは信者達が皆「善に聡く、悪に疎く」になるよう願ったのです。
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願わくは「わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるように。 」
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(エペソ1:17)
知恵に満ちるキリスト・イエスの教えは「ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。」(コリントⅠ 1:24,25)
三、結語
神の知恵は、「十字架のイエスを通して、我々に永遠の贖いの道を備えてくれた」ことです。尚、人の知恵は神を畏れ、悪を遠ざけ、即ち「善に聡く、悪に疎く」生活を送ることです。愚か者にならないように、箴言の言葉、生活の教訓を軽んじてはならない。
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