勇気のある母親
2006・05・14・AM・10:30
出エジプト記2:1~10;
ヘブライ人への手紙11:23~25
母の日にあたり、世の中の母親達に、どうか平和と幸せがありますように。きょうは皆様とともに、「勇気のある母親」と言うテーマについて考えてみたいと思います。
モーゼの母親は、その勇気かつ信心深いが故に、イスラエル人を苦難の中から救い出すことが出来たのです。イスラエル人の祖先は昔、エジプトで奴隷として働いていた。当時のエジプトの王ファラオは、すべてのヘブライ人の男の子を生かしてはならないと命じた。しかし、モーゼの母親はモーゼを産んだ後、三月のあいだ隠していた。しかし、もはや隠し切れなくなったので、パピルスの籠を用意し、その中に男の子を入れ、ナイル河畔の葦の茂みの間に置いた。その子の姉が遠くに立って、どうなることかと様子を見ていると、そこへ、ファラオの王女が現れ、幼子を見つけた。幼子の姉はファラオの王女に申し出た。「この子に乳を飲ませるヘブライ人の乳母を呼んで参りましょうか」。それでモーゼの母親は自分の子の面倒を見ることが出来た。宮殿で育ったモーゼは、後に、イスラエルびとのリーダとして、イスラエルびとの祖先をエジプトから連れ出すことが出来たのです。
この物語の中で、勇気のある母親、即ち、モーゼの母親が神を敬い、ファラオを恐れず、勇気をもって、モーゼを育てたのです。信心深いが故に、パピルスで編んだ籠の中に子をその中に入れ、これを河畔に置き、その姉を遠くで見張りをさせ、ファラオの王女の目に留まらせるような知恵を思いついたのです。神を敬うが故に、モーゼと暫しの別れを耐え忍ブことが出来たのです。何と勇気のある母親で、実に見習うに価するものです。
現代の母親には、多くの悩みを抱えている。子どものために何と大きな代価を払っているのです。これら問題に対処する方法として、聖書は私たちに啓示を与えているのです。即ち、私たちは如何に神を敬い、神を信じ、神に依り頼めば、勇気と知恵と忍耐・・・などの美徳即ち信仰心が育まれるのです。(ヘブらい人への手紙に記している通りです。)
最近学校から子どもに対する要求は余りにも多く、子どもはそれを母親に伝え、母親はそれに答える;子どもの目に映ったのは母親の偉大さですが、その背後には母親の苦労があったのです。
モーゼの母親の物語から、一人が苦しみを耐え忍べば、万人が救われることを学ぶことが出来たことは、私たちは神に感謝せねばならないのです。母親の影響を受けて、モーゼは信心深く、ファラオの王女の子と呼ばれることを拒む勇気ができたのです。神を信頼することによって、神の選民をエジプトの地から連れ出す重責を担うことが出来たのです。
出エジプト記は、イスラエル人が代代口伝えてきた物語です。この物語は神の救いの物語でもあるのです。私たちはこの聖書から神の偉大さを知ることが出来るのです。神が困難に陥った人を助けることは、過去に於いても、現在に於いても、未来に於いても変わることはないのです。神の救いは、子ども、男女、老人、貧富、健康な人、病に伏している人などを問わず、すべての人に及ぶのです。
わたしたちの家庭はこれに似たような救いに与るようなことはありませんか? 家族には各々困難な歴史があって;そして神の救いに与り、御手に守られたことを一つ一つ記録することが出来れば、家族の貴重な宝として記憶に残り、困難のなかでの再出発の大きな力となることができるでしょう。モーゼの母親の物語から、私たちは一つの啓示を得ることが出来たのはありがたいことです。
ここで、もう一度世の中の母親に、平和と幸せがありますように願いたいものです。
今日ここで、執事、グループ代表、日曜学校の校長の就任式を執り行いたいと思います。初代教会では、七人の方を選んで教会の事務に携わらせたのです。教会の規則にならい、当教会でも執事を選び、他の役員達とともに、牧師、長老と協力し会いながら、教会の事務に従事したいとおもうのです。私たちは神に感謝すると共に、神の恵みがこれら役員の上に有りますように。
教会の仕事に携わることは非常に名誉なことです。従って、仕事に忠実でなければなりません。コリント人へ第一の手紙15:58節に「だから、愛する兄弟達よ。堅くたって動かされず、いつも全力を注いで主の業に励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦が無駄になることはないと、あなたがたは知っているからです。」と記しているからです。
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